マレーシアで第二のサッカー人生を歩む

日本のJ1とJ2リーグで10年近く活躍してきた実力をもつ渡邉 将基選手。
30歳を超えて海外でプロサッカー選手としての人生を歩む事になったきっかけと、マレーシアを選んだ経緯についてお伺いしました。


単独インタビュー

日本ではJ1とJ2リーグを経験されておりますが、マレーシアに移籍されようと思った経緯をお聞かせください。

タイのサッカーチームへ入った大学時代の同期がいるんです。
それで、一度旅行を兼ねて遊びに行かせてもらった際に練習場とかの様子とか見て、30歳頃には東南アジアに行きたいと思いました。
ちょうど30歳になる頃娘も産まれて、自分が語学が得意じゃなかった分、娘には幼少の頃から海外の文化に触れて欲しいと思ったという事もきっかけにありますね。

トライアルは何処へ?
マレーシアも含め他の国へも行かれたのですか?

最初はタイに行きたかったのですが、当時12月初旬までプレーオフで、既に外国人選手枠が全員埋まっている状況でした。
自分の中で東南アジアに行くと決めていたので、他を探した結果、空いていたのがマレーシアでした。
初めはセランゴールにトライアルに行ったのですが、結果を持つ間一旦日本に帰りました。
その後改めてマレーシアにきたのですが、その時は練習できる場所がなく、ベトナムのハノイでのタイキャンプに参加することになったんです。
最終的には、そのキャンプで出会ったマレーシアののGMからオファーを頂き決まりました。

サッカーキャリアで第二の人生を歩みたいと考えたのでしょうか?

Jリーグにいた時は、より高いレベルで上を目指すというマインドでした。
ヨーロッパサッカーにも憧れがあり2度ほど、トライアルに参加したことがあります。
そんな中、当時J1の甲府からオファーが届き移籍しました。
そこでの達成感があり、年齢も上がってきていたので次のキャリアを考えるようになりました。
また自分の事だけではなく、娘の教育もしっかりしたいっていう気持ちもありました。

これまで中学や高校も含め長く日本でサッカーキャリアを積まれてきたと思いますが、日本とマレーシアのサッカーで、どういった点が違うと感じられますか?

まずサッカー選手としての生活面で言えば日本は小学校ぐらいから「何をいつ食べるのか?」「いつ寝るか?」など教えてもらい、その中から自分に合ったものを探してコンディションを整えます。
Jリーグでもそういう所を細かくチェックされていると思います。でもマレーシアチームとしてそこまで管理されていません。
なので、これから管理型マネジメントに変わっていくのではないかと思います。
若いコーチが日本での研修で学んだことを、マレーシア含む東南アジアの現場に落とし込んでいくことでサッカーのレベルも上がっていくと思います。
私自身で言えば今までの経験で確立されたコンディション作りがあるので、逆にチームで管理されてしまえば逆に厳しいのものがあります(笑)

助っ人外国人としてチームでの立ち位置や、責任を感じることはありますか?

教えるという立ち位置とは違うアプローチで、チームメイトと一緒に考えながら解説したりしますね。
以前監督と選手全員が入っているWhatsAppグループチャットに、失点した試合の映像が送られてきたことがあります。
日本だとコーチが指摘してくれる所も、マレーシアでは選手同士で話し合ったりします。
僕の解説で新しいやり方を発見したり「ほんまやな」と納得してくれたチームメイトもいたはずです。
正直私のサッカー理論を理解できないメンバーが9割ほどいますが、1割でも分かってくれるならと思い説明しています。
改善しようと思うメンバーは、どんどん成長して変わっていけると思うので面白いですね。

言語・文化・宗教の違い等、マレーシアで苦労した点はありますか?

ラマダン(断食)中はきついですね。
外国人選手で同じように断食する人もいましたが、僕は怪我が1番怖くて。
彼らの場合、サッカーと宗教だったらやっぱり宗教が一番になるんです。
練習しても僕しか水を飲まないので、ワンセッション終わったらトイレに走って水を飲んでいました。
練習の質も落ちますね。
あと、練習が終わる時間が各段に早くなります(笑)。
日本では経験できない事だと思いますね。
ラマダン中は練習時間もイレギュラーになり、スタートが夕方5時半か夜10時から、終わりが夜中12時になるので寝るのは深夜2時3時です。
1年目のラマダン明けは40°の熱が1週間でました。
デング熱ではなかったのですが、睡眠時間が少なく、練習までに昼寝できなかったりすると体調管理がきつくて。
でも最近はスマートウォッチで睡眠管理ができるので助かっています。

地域によっては日本食が少ない中、食生活には困りませんでしたか?

クランタンでは妻が日本食を作ってくれていたので、マレーシアでもしっかり日本食を食べる事ができていました。
AEONもありましたし。
ただ、トレンガヌには日本食が手に入る店がなく、家族も一時帰国中だったため、味付けは塩だけで過ごしていたこともあります(笑)。
今は日本食材をクアラルンプールまで車で4~5時間かけて大量に買いに行っているので、味料の彩りが増えました(笑)。

現在マレーシアでの今後の目標を教えてください。

マレーシアでは、からフェルダ ユナイテッドFC、トレンガはスーパーリーグ(1部)(*1とプレミアリーグ(2部) (*2の両方に所属していて、特にスーパーリーグでプレーして活躍したいと思っています。
2019年にはフェルダでもスーパーリーグでプレーしたことはあるのですが、トレンガヌでも行きたいです。

MTownの読者に向けてメッセージをいただけますでしょうか?

試合がクアラルンプール近郊の時は、ぜひ応援に来てもらいたいです。
夜9時からのキックオフもあるので難しいかなぁとか思いますが、大人の方はもちろん、子供たちにも是非来て欲しいです。
後はトレンガヌへ1泊2日や2泊3日のツアーがあればいいなと思います。
観光しながら夜は試合見て翌日は島に行くとか。
ここからはレダン島とかアクセスが良くて、カパス島なら船で約10分。
とても綺麗な島々なのでお勧めです。

*1) スーパーリーグ: 日本ではJ1リーグに相当
*2) プレミアリーグ: 日本ではJ2リーグに相当


編集後記

取材中は終始明るく気さくに応じてくださり、1時間といった限りのある時間の中で非常に濃い内容をお話しいただけました。
取材終了後の雑談の中で、ここでは書ききれませんでしたが、横浜FC在籍時の元チームメイトであるあのキングカズこと三浦 知良選手(現横浜FC)との話や元日本代表の中村 俊輔選手(現横浜FC)との対戦したときのエピソードをお話ししてくださいました。
(試合中、当時ジュビロ磐田に所属していた中村 俊輔選手のフリーキック時に壁に入り見事に決められたそうです。渡邉選手曰く「決められる予感しかしなかった」とのこと。)

Jリーグで培った経験を活かし鉄壁の守備とゲームをコントロールする力で試合を支配する渡邉選手に今後も目が離せません。


渡邉将基

1986年12月2日生 (34歳)
1996 – 1998 長岡京SS
1999 – 2001 京都FC長岡京
2002 – 2004 桂高校 
2005 – 2008 京都産業大学
2009- サガン鳥栖 🇯🇵
2010- 2012 横浜FC 🇯🇵
2013 – 2014 ギラヴァンツ北九州 🇯🇵
2015 – 2016 ヴァンフォーレ甲府 🇯🇵
2015.7 – 2015.12 FC岐阜 (期限付き移籍) 🇯🇵
2017 – 2018 横浜FC 🇯🇵
2019.1 -2019.2 ペルリスFA 🇲🇾 (Perlis FA)
2019.2 – 2019.12 FELDAユナイテッドFC 🇲🇾 (FELDA United FC)
2020 – ケランタンFA 🇲🇾 (Kelantan FA)
2021 – トレンガヌ FC 🇲🇾 (Terengganu FC)

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