水泳飛込のワールドカップ(W杯)で、マレーシア初の金メダリストが生まれました。
東京五輪最終選考会とプレ大会を兼ねて東京アクアティクスセンターで5月5日に行われた女子高飛込(10メートル)決勝で、サラワク州出身のパンデレラ・リノン・パム選手が見事金メダルを獲得。
2位となった日本の荒井祭里選手を破り、実力の差を見せつけました。
マレーシア人で初の女性五輪メダリストであるパンデレラ選手は、2012年ロンドン五輪で銅メダルを獲得後、2016年リオ五輪でも銀メダルを獲得。
マレーシアでは男女あわせて初となる五輪の金メダルが狙える最有力候補として東京での活躍が期待されています。
今回MTownでは、開幕まであと2カ月余りとなった東京五輪への抱負を、パンデレラ選手に直接インタビューしました。


独占インタビュー

金メダルを獲得し、「東京五輪の期待が活躍されるマレーシアのスター選手」のパンデレラさんにこうしてインタビューする機会を頂き、光栄です。
まず、今回のメダル獲得についての感想をお聞かせください。

今回の大会は「ワールドカップ」ですが、併せて五輪に向けた「プレ大会」という位置付けでした。
実際の五輪の開催会場でこうして競技に参加できる機会は得難いものです。
そして、コロナ禍で厳しい条件の中、五輪の本番直前に最高の結果が得られたことは本当に嬉しいです。
できることなら、五輪でも同じ色のメダルを持って帰りたいです。

新型コロナウイルスは世界中に感染が広まってしまいました。経済だけでなく人々の普段の暮らしも大きく変わっています。
こうした状況の中、アスリートとして競技に大きく影響したことは何でしょうか?

もっとも大変だったのは練習時間の確保です。
昨年3月にマレーシアで「活動制限令(MCO)」が発令されて以来、技術向上のための練習がプールで行えなくなり、ただ自宅でビデオを見ながらイメージトレーニングするしかありませんでした。
それ以外にも、五輪参加を競うさまざまな大会がコロナ禍の影響で中止され、結果としてチームメイトが本選に選ばれないといった悲しいこともありました。

パンデレラ選手が参加した飛込のW杯は当初、4月18〜23日の実施予定だった。
これに対し、主催者の国際水泳連盟(FINA)は4月初め、「日本での感染対策が不安」一度は中止を言い渡した。
その後、IOCや東京五輪組織委などとの協議の結果、復活催行となった経緯がある。
パンデレラ選手をはじめ各国の参加予定選手は日程変更に振り回される形となった。
なお、オーストラリア飛込チームのように、「参加は安全ではない」とし自主的に棄権し、自ら五輪参加をあきらめた例もある。

今回の大会実施に当たり、日本側の大会主催者は厳しいコロナ対策を行ったそうですね。
毎食がお弁当だったり、ホテルでは別の階への移動が禁じられるなど、さまざまな不便があったと聞いています。
今回の日本滞在の感想はいかがでしたか?

実は、今回の日本訪問は私にとって2度目なんです(前回は、2018年に静岡県富士水泳場で行われたFINAワールドシリーズに参加、10mシンクロの銅メダルを獲得)。
ただ、その時は東京のアクアティックセンターがまだ完成しておらず、今回の大会で五輪が行われる本物の会場に入れたのはとてもラッキーでした。
前回の日本滞在では色々な場所に行けたのですが、今回はコロナ禍の影響で全てのアスリートがホテルとアクアティックセンターの行き来しか出来ず、日本を楽しむことはできなかったんです。
でも、大会に参加したアスリートに対する日本側の対応は素晴らしく、ホテルや食事は満足できましたし、閉鎖空間や感染対策への配慮などもあり、負担を最小限に抑えてくれたと思います。

サラワク州ご出身のパンデレラ選手が飛込のアスリートになったいきさつを教えていただけますか。

みなさんもご存知の通り、サラワク州はまさに大自然に囲まれた環境です。
小さい時、うちの父がよく滝のある渓谷に遊びに連れて行ってくれました。
3、4歳の時にはもう水遊びが大好きだったんですけど、時々父とともに滝の高いところから滝つぼに向かって飛び込んだりしていました。
そんな経験から、高所から飛び込んでも怖くないという素養が具わったのかもしれません。

幼少期からの慣れということなんですね。
私も一度、高さ10mの飛込プラットフォームまで上がったことがあるのですが、下を見るだけで怖かったです。
そんな中で技を繰り出すのは、訓練をしている選手以外は難しいと思いました。

今回お話を伺って日本がお好きなこともわかり、日本語メディアをマレーシアで制作する者として感激です。
一言、マレーシアに住む日本人の皆さんにメッセージをいただけますか。

今回の金メダル獲得に際し、ファンの皆さんの応援に感謝しています。しかし現状、飛込は簡単に始められる競技ではないこともあり、一般に広く認識されてるとは言えない状況です。
私の活躍をみて、今後1人でも多くの若者がマレーシア代表を目指してくれると良いなあと日々思っています。
マレーシア選手として、皆さんの母国である日本で五輪金メダルを獲得できたら、こんな嬉しいことはありません。
どうか、私たちマレーシア代表への東京への応援をお願いします。


取材秘話

取材担当のケリーです。
今回取材したパンデレラ選手は、マレーシア初の金メダルを取れる可能性を持った選手として、マレーシア人の希望の光のような存在です。
そんな選手を取材する機会を頂けたことを嬉しく思うと共に、取材で分かったパンデレラ選手の一面も紹介します。

上で述べたように、パンデレラ選手は我々マレーシア人にとってスーパースター。
彗星の如く現れた、マレーシアスポーツ界にとっての宝とも言えます。
そんな方にインタビューするとあって、準備を入念にしてから挑みました。

私が初めて彼女と話した時の印象は「頭の回転が速い人」。
MTownという媒体について聞いていたかは分かりませんが、私が軽く説明しただけで彼女は概要を理解したようでした。
そして話すうち、とてもフレンドリーな性格であることも分かりました。

テレビで見る競技時の姿は、まるで戦闘モードのような強そうで近寄りがたい存在。
しかし、インタビュー中にふと笑みを見せる瞬間、人間味を感じると同時に親しみを覚えました。
それはリオオリンピックで二人組でのシンクロ競技の時、パートナーと一緒に銀メダルを取った瞬間、テレビの前でみんなに「愛してる」とメッセージを送った時のよう。

彼女は、私が何か質問をすれば常に丁寧に教えてくれました。
私の感覚では、パンデレラ選手の登場以前、飛び込みという競技について詳しく知っている人は少なかったと思います。
知らない方にも深く理解して貰える記事を書けるよう、基本的な事まで質問しました。
スポーツ選手にとっては当たり前でも、我々にとっては知らない事もあります。
中には「えっ?インタビューするならそれくらい知っておいてよ」と思われるレベルの質問もあったかもしれません。
しかし彼女は嫌な顔一つせず、快く一つ一つ解答してくれたのです。
インタビューを終えた今、彼女は自慢をしたり高飛車な感じを出したりすることも全くない、心身ともに成熟した人間であると尊敬出来ます。

リー・チョンウェイ選手に代表されるバトミントンだけでなく、飛び込みという競技をマレーシアに広めたのは紛れもなくパンデレラ選手です。
マレーシアのスター選手を、在馬邦人の方にも是非知ってほしい!という思いでこの記事を書いています。
日系メディアであるMTownを通じて、日本とマレーシアの架け橋となれますように。
ハードコピーの方も是非お手に取って頂けると嬉しいです。


パンデレラ・リノン
Pandelela Rinong Anak Pamg, AMN JBK

1993年生まれ。サラワク州バウ(Bau)出身。
ボルネオ島の先住民ダヤク族の系統であるビダユ族の血を引く。
4人兄弟の長女で、兄と2人の妹を持つ。7歳で国の代表選手候補に選抜され、KLのブキ・ジャリル・スポーツ学校へ進学。
飛込選手として英才教育を受ける。2018年、マラヤ大学(UM)スポーツ管理科学専攻科卒業。
その功績により、王室とサラワク州からAMNおよびJBKの称号を授与された。
ペットの名前はトトロ。


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