運命の背番号10を背負い
マレーシアのサッカーを変えるべく
一歩踏み出す


Jリーグ最強にして最多タイトル獲得数を誇る鹿島アントラーズで14年に渡り背番号10を背負い
また、日本サッカー界の「黄金世代」として、世界的躍進の原動力として活躍し続けてきたファンタジスタ
本山雅志選手が、マレーシア・プレミアリーグ(2部)のクランタン・ユナイテッドに今季から加入。 
マレーシアリーグ初の日本代表経験者として、2月の来馬以降
マレーシアサッカー界から大いに期待と注目を集めています。 
来馬のきっかけや今後の抱負など、単独インタビューを通して率直な意見を伺いました。

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単独インタビュー

本山選手にとって、海外チームへの加入は初めてと伺っています。
マレーシアを新天地に選んだ理由、きっかけをお聞かせください。

2019年まで北九州のチームであるギラヴァンツでプレーしていたのですが、怪我が重なり、1年間休養することとしました。
一方で、「2021年にはサッカーを再開する」と決めて自主トレーニングを続けていました。
代理人を擁さず、またSNSも一切使用していませんので、直接声をかけてくださるところとのみお話することとなるわけですが、幸いにも2020年秋に、クランタン・ユナイテッドから、そのパートナー企業であるマレーシアヤクルトさんを通して熱心なオファーをいただきました。
チーム、マレーシア、そして、そこでプレーすることに対して「面白い!」と感じたことが、オファーを受託した理由です。

現在41歳。現役にこだわる理由は何でしょう?

サッカーが好きで、プレーすることが楽しくて仕方がないからです。
B級指導者ライセンスを取得済みのため、指導者やコーチの道へ進むことも可能です。
実際に、そのようなお誘いもありました。
しかし、プレーできる場所がある限り、そちらを選びたいと考えています。

現在チームには、東山監督、深井選手、谷川選手と、多くの日本人が活躍されていますね。
日本人選手とマレーシア人選手との違い、チームとしての状態や、チームメンバーとの関係はいかがでしょう。

マレーシアの選手はポテンシャルが高く、フィジカルが強いので当たり負けしません。
そこに技術と戦術が加われば、強いチームが誕生します。必要なのは「変わるきっかけ」。
当チームに東山監督が就任して半年が経過しましたが、すでに大きな変化が見られます。
具体的には、パスすべき方向によって球の処理法が違うこと、(マークが厳しく付いて)パニックになる前に球を出すこと、パニック状態にある選手に球を送らないことなどを細かく伝え、ゲームの流れを読む訓練や基礎的なトレーニングを繰り返すことが、チームにとって重要な時期だと言えるでしょう。
リーグが終わる前までに、勝てるチームとなっていたいです。
選手同士は仲が良いです。しかし、チームとしては決して仲良しクラブであってはいけません。
お互いが成長し続けられるような関係であることが大切だと考え、ピッチでは意見を出し合っています。

背番号10(エースナンバー)、かつ、マレーシアサッカー界初の元日本代表選手の加入ということで、チームおよびマレーシアからの期待も大きいと思います。ご自身はどのように意識されていますか?

マレーシアヤクルトさんを通じて「背番号は10番に決まりました」と報告を受けたとき、緊張とプレッシャーが走りました。
これはエライことになったぞ、と(笑)。兎にも角にも、恥ずかしくないプレーをすること、勝つためのチーム作り、勝つための練習を常に意識しています。外国人選手は「助っ人」という立場。そのため、数字にもこだわらなければなりませんが、チームの現状としては、「勝つためにどうすべきか」を考え、共有する段階です。その中で、自分に課せられた役割を果たしていかなくてはならないと感じています。
本山選手のデビュー戦(3月9日)をオンラインで拝見しました。後半からの出場でしたが、本山選手の登場でボールに意思が芽生え、他の選手も生き生きと走り始めるなど、試合の流れが大きく変わりました。ロングボールやぼんやりしたパスも影を潜めました。ピッチに入る前に意識されることや、チームの動きを変化させる秘訣はなんでしょう。

特に途中出場の場合は、それまでにゲームの流れやチームの状況をしっかり観察し、どこに問題があるかなどを十分に把握した上でゲームに入ります。問題点を修正すべく動くので、流れに変化が生じるのでしょうね。

海外の選手は、フリーキックやコーナーキックを自分が蹴りたがる、自己主張が強いというイメージがあります。
マレーシアの選手はいかがでしょう?

そのとおりですね(笑)。
その選手が蹴っても問題ないと思えば蹴ってもらいますが、「ちょっと違うかな?」と思えば、自分がボールを取って蹴ります。
判断基準はあくまでも、「チームが勝つため」。
ピッチの内と外ではお互いに気持ちを切り替えていますから、それがメンバーとの人間関係に影響することはありません。

新型コロナウイルスのパンデミックを受け、無観客試合が続いていますね。
これは選手のメンタルにどのように影響しているでしょうか?

こちらの選手のモチベーションに、非常に大きく影響しています。
誰にとってもサポーターの声援は大きな後押しになることは事実です。
しかし当地の選手は特にその傾向が強く、練習中もギャラリーがいると俄然張り切って良いプレーをします。
試合ではさらに顕著で、ホームかアウェイかでも違いが生じます。
ただ、どんな状況、環境下であっても、勝ちに向かうメンタルと技術を培うことも今後の課題の1つだと考えています。

日本とマレーシアでのコンディション作りの違いや、マレーシアにおけるメディカル面でのサポートはいかがでしょう。

マレーシアと日本では練習時間、試合時の移動手段など、様々な点で大きく異なります。
そのため、コンディション作りもそれに応じたやり方が求められます。
まず、練習時間は朝と夕方5時以降(ラマダン期間中は、夕食後の10時以降のみ)。
シーズン中の移動手段は全てバスです。ジョホールでの試合でさえ、12時間かけてコタバルからバスで移動します。
先日はバスの故障で15時間を要しました。おかげで、KLなど7〜8時間で移動できると、とても早く感じるようになりました(笑)。
長時間移動が重なる状況下での練習のし過ぎは、怪我に直結します。
そのため、もっと練習したいという気持ちを抑えてトレーニングに臨まなければなりません。
その点については、東山監督が効果的なメニューを組み立ててくれていますので、監督に全幅の信頼を寄せ、従っています。

メディカル面でのサポートは、形式的には揃っていると言えるのですが、実情はまだまだです。
(マレーシアの)代表チームに対するサポートでさえ十分とは呼べません。食事面を含め、しっかりした自己管理が求められています。

2月にマレーシア入りされ、3か月が経ちました。
初の海外生活、しかも、マレーシアの中でも他都市とは文化や食習慣の異なるコタバルにご滞在です。
生活面で不自由や苦労されている点があるのでは?

これが一切ないんです。
すべてが快適で、本当にありがたいことです。
食事の際にスプーンやフォークがなければ、地元の人たち同様に手で食べますしね。
他の日本人選手にも、「手で食べるぞ!」と促しているほどです。
強いて不自由な点を挙げるとすれば、普段の生活では体調管理のために自炊を心がけているのですが、マイ包丁を日本から持参しなかったことですね。
実家が魚屋ということもあり魚をさばくのは得意なので、手に馴染んだ包丁を持ってくればよかったと後悔しています。
あとは、ドリアンにも苦労しているかな(笑)。

マレーシアの良い点、当地に来て良かったと思われる点はお聞かせください。

食事がとにかく美味しい。美味しくないものがない。
特に最近、美味しいカレー屋を見つけたことも嬉しい点ですね。
(北インドや南インド系ではなく)ムスリム系カレーなのですが、意外にも辛くなくて、いくらでも食べることができます。
コタバルはタイとの国境が近いこともありタイ風の食事も味わえ、時折タイ語での挨拶も飛び交います。
“サワディカップ〟と声を掛けられ、“こんにちは”と返したら、“サワディカップ〟とこちらが返すまで、何度もサワディカップ!と言われたこともあります(笑)。
異文化コミュニケーションや様々な経験ができることも、当地の大きな魅力だと肌で感じています。

マレーシアの方の印象はいかがですか?

僕のことを知っている人はこちらには誰もいないわけですが、見知らぬ人に対してもとにかく優しくフレンドリーで、親切な方ばかりです。
また、決してせかせかせず、ゆっくりゆったりしているなぁという印象です。

さて、オフの日はどのように過ごしておられますか?

トレーニングと、身体をほぐすためのプールでのスイミング。
あとは日本人選手と買い物に行くなどして過ごしています。MCO期間中は、外食できないことが残念ですね。

マレーシア入国後の隔離生活はいかがでしたか?

1週間の隔離期間中用トレーニングメニューが監督から届いていたのですが、それを実行に移すには、ベッドやら備え付けの家具を「えいっ!」と部屋の隅へ移動しなければなりませんでした。
そこからスタートしたのが印象深かったです(笑)。
また、マレーシアのホテルは浴槽がないのが一般的と言われていたのですが、幸い浴槽付きの部屋だったので「これはラッキー!」と、存分に風呂を楽しみました。

日本におられる選手のみなさんと連絡を取られることはありますか?

頻繁に連絡は取り合いますよ。
とりわけ79年生まれの仲間たち*は全員仲が良いので、ライン・グループを形成してチャットしています。
中でも、中田浩二⁑とは家族同様の付き合いです。

シーズンオフに訪れたい場所はありますか?

マレーシアは海が大変綺麗だと聞いています。
マレーシア一美しいと言われるプルヘンティアン島はコタバルから近いですし、ぜひ訪れたいと思っています。
ランカウイ島も行きたいですね。

クランタン・ユナイテッドでの目標を教えてください。

マレーシアには5部リーグまで存在しますが、創立わずか3年で2部リーグであるプレミアリーグに昇格したのは、クランタン・ユナイテッドのみという急成長のチームです。
(5月11日現在のランクは)プレミアリーグ5位ですが、勝ち点差はわずかで、上位チームはいつ順位がひっくり返ってもおかしくない状況です。
上位2チームを目指し、2022年には1部リーグのスーパーリーグに昇格する、というのが目標です。

最後に、マレーシアのみなさん、Mタウンの読者のみなさんにメッセージをお願いします。

40代を迎えてから新たな土地で、新たな一歩を踏み出しました。
チャレンジし続けることで、みなさんに夢を与える存在、刺激をもたらす存在でいたいと思っています。
どこかで僕を見かけたら、どうぞ話しかけてください。


編集後記

本山選手は、サッカー関係者が「モトヤマは本当に41歳か!?」と目を丸くするほど八面六臂の活躍を見せ、3月のデビュー戦からわずか1か月後の4月には、マレーシアリーグ月間ベストイレブンに選出された。
クランタン・ユナイテッドでの本山選手の試合動画を見たとき、筆者の脳裏に古い記憶がまざまざと蘇った。
ブラジルからやって来た“サッカーの神様”ジーコが、鹿島の10番を背負ってJリーグ開幕戦でハットリックを決めた場面を。
スター選手の揃うヴェルディで、ラモス選手のみに目が釘付けになったことを。
インタビューを通して話を伺い、試合から受けた印象は正しかったと確信した。
本山選手は今のマレーシアサッカー界にとって、日本のサッカーを大きく変えたジーコ、アルシンド、ラモスであり、「真のサッカーとはこういうものなのだ」と当地の若い選手たちに示すべく来馬したのだと。
いよいよここマレーシアで、胸を熱くするサッカーが見られるようになる。
楽しみでならない。

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応募期間:9月17日まで
※紙面発刊スケジュールにより、告知なく期間が延長される可能性があります。ご了承ください。

本山雅志

1979年6月20日、福岡県北九州市で生まれる。
身長 175センチ、体重 65キロ。

在籍チーム
二島中学校
東福岡高校
鹿島アントラーズ(1998-2015)
ギラヴァンツ北九州(2016-2019)
クランタン・ユナイテッド(2021-)
日本代表歴
U-20(1998-1999)
U-23(2000)
A代表(2000-2006)

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