世界最年少の日本人監督が提唱する
チーム作りと夢への軌跡

モンゴルで28歳という前例にないの若さで監督のキャリアをスタートした東山 晃監督。
2019年にクチンFA(現クチン シティー FC)を指揮したのち、2021年シーズンからマレーシア・プレミアリーグ(2部)のクランタン・ユナイテッドの監督に就任。
その異例のキャリアとチーム作り(マネジメント)などインタビューを通して率直に語ってもらいました。


単独インタビュー

マレーシアでは唯一の日本人の監督と伺っております。
異国の地で監督になられた理由、きっかけをお聞かせください。

2012年から2シーズンタイでサッカー選手としてプレーしたあと、日本に帰って母校である北陸大学で指導者になるため2年間勉強をしてJFA公認指導者B級ライセンス取得しました。
日本で監督、コーチになるのではなくプロとしてプレーをした東南アジアで監督業をチャレンジしたいという気持ちがありました。
そんな中、縁あって今マレーシアで監督をやらせてもらっています。

海外で監督になるチーム探しはどうされたのですか?

まだ監督として実績がなかったですし、年齢もまだ若かったのでいきなり東南アジアで監督になるのは難しいと思い、まずはサッカー選手として2016年にカンボジアに行きました。
そこでクラブのマネジメントだったり指導者の目線を選手としてやりながら学び、タイミングをみて指導者に転向したいと考えていました。
2017年にモンゴルのチームに移籍をしたあと、知人を介して当時モンゴルの一部リーグのアンドゥードゥ・シティFCから監督としてオファーをもらい28歳で海外で監督になるという夢を叶えることができました。

マレーシアで監督になられた理由、きっかけはなんでしょうか?

もう一度東南アジアでチャレンジしたいという強い想いはモンゴルで監督をやっていた時もずっとありました。
そこで色んな国を調べたときに、マレーシアには日本人指導者がいなくチャンスがあると思い、タイで知り合った現在クチン シティーFCに所属している鈴木 雄太選手を介してヤクルトマレーシアの濱田社長を紹介してもらいました。
LINEでコンタクトをとらせてもらったのですが、連絡した1週間後にはマレーシア行きの飛行機に乗っていました(笑)
濱田社長の力もあり2018年10月には2019年のシーズンからクチン FA(現クチン シティー FC)率いることが決定していました。

マレーシアの監督業で苦労している点や工夫している点はなにかありますか?

試合の移動が基本バスでかつ長時間なので、選手のコンディション、モチベーションの維持には苦労します。
ただ、これをいかに良い状態を維持するのが僕の仕事なので、常に選手の状態に気を配り、練習メニューを調整しています。
マレーシアのサッカー選手のポテンシャル、能力の高さは選手時代から感じてましたので、最高のパフォーマンスを出せるような環境づくり、コミュニケーションを大切にし、一人ひとりにあった”関わり方”を意識して日々取り組んでます。

コミュニケーションは具体的にどのように選手と取りられていますか。

良いプレーをしたらとにかく褒める!です。
マレーシアのサッカー選手は身体能力は高いですが、戦術理解度はアジアでもまだまだ遅れをとっています。
「悪いプレーをしたら叱る」ではなく良いプレーをしたら褒めることによりプレイヤー自身に気づきを与えることを意識しています。
またサッカー以外のプライベートな会話をしたり、練習前後に少しいじったり(笑)
仕事の会話以外でいかにコミュニケーションをとるのかが大事だと思ってます。

現在31歳と若い中で監督という立場。
年上の選手やスタッフも多くいると思いますが、年齢で苦労された点はございますか。

結構ありますね(笑)
年齢が若いからと「意見を聞き流されてるなー」と感じることもあります。
ただそれもわかった上で東南アジアにチャレンジしてきていますし、チームの結果次第でまたその立場も変わってくると考えています。
自分の役目はチームを勝たせること。
マレーシアで結果を出すことにより自分みたいな若い指導者が年齢関係なく日本を飛び出していけるきっかけを作っていきたいです。

現在、チームづくりとして目指しているサッカーを教えてください。

私の中ではこういうサッカーをしたいという想いはあるのですが、自分のやり方にこだわり過ぎて選手に押し付けてしまうと選手が本来持っている個性だったり能力を潰してしまうと思ってます。
「あれやれ、これやれ」ではなく、ゴールを目指すスポーツなので、それをベースに選手のストロングポイントと自分が持っているものを共存させて勝ちを目指すことにこだわっています。

日本の戦術はある程度固定された戦術に対して選手やコーチングを当てはめていく。
ある程度戦術という名の「縛り」があるのですが、東南アジアの選手たちに「縛りすぎ」は良くない。
だけど「自由」にしすぎるのも良くない。
日本の指導法と東南アジアの選手たちにあった指導法をミックスして選手と一緒にチームを作っていく考えのもとチーム作りを行っています。

マレーシアサッカーは東南アジアで視たときの立ち位置(レベル)はいかがでしょうか?

タイ・ベトナムが頭一つ抜けてるかなと思います。
そこにまだマレーシアは付いていけてない感じがありますね。ただ選手個人の能力としてはそこまで差があるとは思わないので、マレーシアサッカー協会が選手・指導者へのバックアップをより強化すれば数年先には同等なレベルまで上げることができるポテンシャルは十分にあると思います。
サッカーはマレーシアは断トツで人気のスポーツなので、国民の期待は大きいと感じますが、まだその期待に実力が追いついていない状況かと思います。

2021年シーズンからケランタン・ユナイテッドを率いて現在日本人選手が3人(本山選手・深井選手・谷川選手)いますが、日本人の期待している役割はありますか?

特に私が求めているわけではないのですが、サッカーの技術はもちろのこと、練習1時間前にきて準備したり、練習も先頭をきって取り組んでくれています。
これは当たり前のことですが、まだできていない選手も多くいます。
このように練習に対してプロフェッショナルな姿勢を見せてくれるのでほかの選手に良い影響をあたえてくれる非常に心強い存在です。

クランタン・ユナイテッドは現在6位で残り5試合(8月5日時点)残りの試合への意気込みをお聞かせください。

まずは目の前の一試合に対して全力を自分含め選手が尽くすことができるかがチームとして大事だと考えています。
そのために一日一日の準備(練習)を大切にし、最高なコンディションで試合に望めるよう取り組んでます。
前期もギリギリの戦いで負けたり引き分けの試合も多かったのでいかに勝ち切れるか。
そのためにはチームの一体感を高め勝ちに向かうこと。
このチームは勢いにのったら強いので良い準備ができればいい結果でシーズンを締めくくれると思います。

最後に、マレーシアのみなさん、Mタウンの読者のみなさんにメッセージをお願いします。

日本にいるときはJリーグでプロを目指していました。
どこかで「あっJリーグは無理かな」と思い、すぐにタイへ飛び出しました。
「東南アジアで監督をする」という夢を叶えられたのも、連絡がとれてからすぐにマレーシアまで濱田さんに会いに行ったことがきっかけです。

なにか成果をつかみ取るためにもまずは「行動する」ことが大切だと思います。
常にチャレンジすることでみなさんに勇気や夢を与えられる存在でありたいと思ってます。

今は試合に観に来てください!と伝えづらい状況ですが、コロナが落ち着いたら是非スタジアムまで応援に来てくれると嬉しいです。


編集後記

現在31歳という若さでチームを率いている東山監督。選手とのコミュニケーションの取り方、モチベーションの維持の仕方は私たちビジネスマンにとっても参考になるお話しでした。
Jリーガーになる夢は叶えることはできなかったがmそこで立ち止まるわけではなく、海外に出ることで自分の新しい「東南アジアの監督になる」という新な夢を見つけそれを叶えるために行動した結果その夢を叶えることができた。
いかに自分の信念に従い行動していく大切さを取材中に改めて学ぶことができました。

日本サッカー良い所、東南アジアサッカーの良い所をミックスした東山監督の指揮するクランタン・ユナイテッドの試合を一度は生で観戦してみたいです。


東山晃

1989年生まれ 北陸大学卒
2012年タイリーグ・デビジョン2のサムットプラカンユナイテッドFCとプロ契約
2014年 日本に帰国をしてJFA公認指導者B級ライセンスを取得
2016年カンボジアのウエスタンプノンペンFCとプレイヤーとしてプロ契約
2017年モンゴルのウランバートルシティFCに移籍
2018年アンドゥードゥ・シティFCの監督に就任
2019年~2020年マレーシアのクチンFA(現クチン シティー FC)の監督に就任
2021年~現在クランタン・ユナイテッドの監督に就任

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