
クランタン・ユナイテッド 本山雅志選手と
“移籍のキーマン”ヤクルトマレーシア社長 濱田浩志氏に聞く
今だから話せる移籍の舞台裏&本山×ヤクルトから始まるマレーシアへの社会貢献
サムライブルーを世界と堂々と渡り合えるチームへと押し上げた日本サッカー界の「黄金世代」。
その綺羅星の中心メンバーにして、Jリーグ最強の鹿島アントラーズで14年に渡りエースナンバーを背負い続けた本山雅志選手が、マレーシア・プレミアリーグ(2部)のクランタン・ユナイテッドに今季から加入。
この夢の移籍を実現させたマレーシアヤクルトの濱田浩志社長とご本人である本山選手から、移籍にまつわる秘話や本山選手の素顔、二者のコラボだからこそ実現する今後の取り組みについてお話を伺いました。
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対談記事
今回の移籍の立役者は濱田社長と伺っています。
まずはヤクルトとサッカーの接点についてお話を伺えますか?
濱田 マレーシアに着任して14年が経ちました。
この国の食品マーケット戦略は非常に難しく、ムスリムのみなさんにヤクルトを認知いただくための手段として、ムスリム系を中心に人気のあるサッカーに着目しました。
日本のJリーグユース選手の使用済みシューズを、マレーシアを含む発展途上国の子どもたちに贈る「サッカーシューズ寄贈プロジェクト」(サガン鳥栖元代表牛島氏が発起人)を通じて、マレーシアサッカー界との繋がりがあったこともあり、サッカーを通じた広報活動に舵を切りました(2017年からのクランタンFCとスポンサー契約に始まり、マレーシア代表若手選手のJリーグ移籍支援、また2018年からマレーシア代表とスポンサー契約)。
おかげさまで、今ではマレーシアの子どもたちの間で、サッカーと言えばヤクルトを想起してもらえるようになり、またマレーシア教育省より許可をいただき、全国の公立小中学校の売店での販売も可能となりました。
元日本代表がマレーシアのクラブチームに加入するのは本山選手が初めてです。
この移籍を実現させるにあたり、濱田社長が苦労された点をお聞かせください。
濱田 当地のサッカーと関わるうちに、この国のサッカーの問題点が浮き彫りになり、何か変わるきっかけがあればとの思いが強くなっていました。
本山選手が2021年からプレーできるチームを探していると(前述の)牛島氏から伺い、「これだ!」と。
当社がスポンサー契約するクランタン・ユナイテッドへの招聘を決心したものの、チーム環境が整わない限り、本山選手が活躍することは不可能です。
マレーシアにはフィジカルに恵まれた逸材は多くても、サッカーの戦術そのものを知る選手や関係者は多くありませんから。
そこで、東山晃監督と谷川由来選手(ともに前クチンFC)、深井修平選手(前ヴァンラーレ八戸)とともに本山選手を迎える“パッケージプラン”を練り、クランタン・ユナイテッドのオーナーへの説得に骨を折りました。
本山選手にマレーシアに来てもらい、オーナーや関係者に実際のプレーを見ていただければ話しは早かったのですが、コロナ禍ではそれも叶いませんでしたしね。
本山選手にお伺いします。
クランタン・ユナイテッドからオファーが届いた際の気持ちをお聞かせください。
本山 とにかく、「このチャレンジは面白い!」と思いました。
サッカーが好きでたまらないので、再びプレーできるということも嬉しくてなりませんでした。
また、濱田さんからの熱心なお誘いにも心が大きく動きました。
本山選手の背番号は、鹿島時代同様、エースナンバーの10番に決まりましたね。
本山 10番に決まったと聞いたときは、「これは大変なことになった」、というのが率直な感想でした。
緊張とプレッシャー、そして責任を痛感しました。
濱田 本山選手がチームに加入する以上、ぜひとも着用して頂きたい番号がありました。
しかし当然のことながら、それまでは他の選手が10番を背負っていました。
彼に本山選手のプレー動画を見せながら誠心誠意説明したところ、「モトヤマ選手なら喜んで10番をお渡しします」と言ってくれ、本当にありがたかったです。
偶々ですが、クランタン・ユナイテッドのユニフォームは赤色で、チームロゴは鹿を模しています。
それに加えて10番となれば、アントラーズ時代の本山選手を彷彿とさせ、運命を感じます。
本山選手は2月に来馬され、隔離を終えてチーム合流後の三日後にはバスによる長時間移動を伴うジョホールへの遠征試合に参加されましたね。
本山 通常でも12時間かかるところに車両故障が発生し、代車が来るまでの3時間がプラス。合計15時間に及ぶ移動でした。
しかし、最初に15時間移動を経験したことから、その後の移動は短く感じられ、苦にならなくなりました(笑)。
濱田 スーパーリーグ(1部)で7連覇中のジョホール・ダルル・タクジムFC(JDT)との親善試合だったのですが、JDTを率いるジョホール州皇太子が「モトヤマ選手を見たい」ということで急遽設定された試合でした。
我々はまだ2部リーグですが、JDTは当日、1部リーグのレギュラー選手で戦ってくれました。
潤沢な資金を背景に格が大きく違うチームとの試合ながら4点差で終えることができ、ほっとしました。
リーグ戦における本山選手の活躍に対する周囲の反応はいかがでしょう?
濱田 本山選手がピッチでプレーを始めると、敵陣の関係者が全員思わずベンチから出てきて、「モトヤマは本当に41歳なのか?なぜあんな動きができるんだ!」と口々に感嘆の声を上げます。
本山選手がいるかいないかで、試合の空気も展開もガラリと変わるんです。
これからお二人が展開予定の取り組みなどがあればお聞かせください。
本山 勝てるチーム作りを心掛けるとともに、マレーシアサッカーを底上げできるよう一歩ずつ努力するだけです。
濱田 本山選手はご自身からは口にされないようですから、私からお話させてください。
クランタン・ユナイテッドでは、試合に勝利した際には全選手に「勝利給」が支払われます。
本山選手は今までの勝利給には一切手を付けず、「マレーシア社会に有効活用してください」と私に託してくれました。
熟慮の末、本山選手が所属するクランタン州にある孤児院への寄付や、昨年より会社でサポートしているデフ(聴覚障がい者)サッカーマレーシア代表への支援を進めていきます。
ブラインド(視覚障がい者)サッカーは国としての支援が整っているのですが、デフサッカーに対しては、音の聞こえないことによる危険度への認知が浸透しておらず、サポートが全くないためです。
これらの活動を通じて、この国のデフの方々にもヤクルトを通して健康をお届けできます。
本山選手と共にサッカーを通じた社会貢献を継続し、より一層マレーシアの方々に愛されるブランド作りを目指していきたいですね。
編集後記
本山選手の来馬によりマレーシアサッカーが世界レベルへ一歩近づき、また、本山選手とヤクルトのコラボが、マレーシア社会に一石を投じることになりそうな、そんな素敵な予感を感じさせるインタビューとなりました。

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本山雅志
1979年6月20日、福岡県北九州市で生まれる。
身長 175センチ、体重 65キロ。
二島中学校
東福岡高校
鹿島アントラーズ(1998-2015)
ギラヴァンツ北九州(2016-2019)
クランタン・ユナイテッド(2021-)
U-20(1998-1999)
U-23(2000)
A代表(2000-2006)