Q マレーシアとはどんな国?
A 面積は日本全土よりやや小さく、人口は日本の4分の1ほどのおよそ3,200万人です。

赤道のやや北側に位置
国土の6割が熱帯雨林

東南アジア諸国連合(ASEAN)の主要国のひとつであるマレーシア。
国土面積は約33万平方キロメートルで、日本の国土面積より少し小さいサイズです。
国土の6割を熱帯雨林で占め、国全体の人口密度は平均で1平方キロあたり84人と日本の4分の1程度にとどまります。

国境は北はタイ、南はシンガポール、東はインドネシアと接し、ボルネオ島のブルネイとも接しています。
東南アジア地域の中心部に位置していることもあり、近隣諸国へは飛行機で数時間で到着します。

3つの異なる民族が共生 
英語は準公用語扱いに

総人口は3,200万人超で、首都クアラルンプールを中心に三大民族(マレー系、中華系=華人、インド系)など、さまざまな民族が住んでいるのが特徴です。
タイやインドネシアのようにひとつの民族に融合するのではなく、それぞれの民族が個々のアイデンティティーを強く持ち、文化的な共同体を維持しながらマレーシアというひとつの国に暮らしています。
このため、マレーシア国内では実にさまざまな言語が話されています。

公用語はマレーシア語ですが、イギリスの植民地だったため、英語も広く通じます。多くの政府文書はマレーシア語と英語で作られています。

マレーシアの国教はイスラム教です。また、中華系が仏教またはキリスト教、インド系がヒンドゥー教またはキリスト教を主に信仰しています。このほか、インド系にはシーク教の信者がいますし、中華系には儒教、道教を信仰する人たちもいます。
また、バングラデシュやミャンマーなどからの外国人労働者が増えており、マレーシアは言語面からみて、実に多様性がある国と言えます。

15世紀のマラッカ王国が由来
2018年に初の政権交代

現在、マレーシアにあるところには、西暦1400年ごろマラッカ王国が建国されました。スマトラ島の王族らがつくったとされ、中国や中東などとの交易の中継地点として大いに栄えました。イスラム教が広まったのもこの時代とみられています。


しかし、1511年にポルトガルがマラッカを占領。ポルトガルのあとは1641年にオランダが、1795年にはイギリスが占領。さらに19世紀にはイギリスがマレー半島全域とボルネオ島の一部を植民地化していきました。第二次世界大戦中は一時期、日本軍が占領しましたが、日本の敗戦に伴い、再びイギリスが支配します。

マレー半島は1957年までの長きに渡って植民地となっていましたが、イギリスから独立したあと、1963年にマレー半島の州と現在のサバ州やサラワク州、シンガポールを合わせたマラヤ連邦が結成されます。しかし、2年後の1965年にシンガポールは分離独立し、今に至っています。

1969年には政府を震撼させた人種暴動が発生し、多くの人が死亡しました。これを機にマレー人を優遇するいわゆる「ブミプトラ優遇政策」が1970年代に始まったのです。

1981年にはマハティール・ビン・モハマド氏が首相に就任。その後、22年間にわたる長期政権を維持しました。この間に多くの開発事業が行われると同時に工業化も本格化し、マレーシアは大きく発展しました。マハティール氏はマレーシアの近代化を日本と韓国から学ぶため「ルック・イースト政策」を提唱。その一環として多くのマレーシア人が日本の大学に留学しました。

2003年にマハティール氏が退任。その後、アブドゥラ氏、ナジブ氏が首相に就任しました。しかし民衆の間で政権への不満が高まり、2018年にはマレーシアで独立以来初めての政権交代が起こり、マハティール氏が首相の座に15年ぶりに返り咲きました。2020年現在、ムヒディン首相が政権を率いています。ただ、首相就任をめぐっては、議会での選出等ではなく、国王が国会議員全員の意見を聞き、最も支持を集めた者を指名するという異例の選出方法を取りました。

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